それでも、肩の付け根のあたりに硬い芯が残っている。
美代はそこを親指で押し込みながら、少しだけ声を落とした。
「……無理、してない?」
「してる」即答だった。
「してるけど、平気」「平気な人は、あんな顔で帰ってこない」「あんな顔って」「死にそうな顔」早苗が小さく笑って、美代の胸に額をぶつけてきた。
髪から雨の匂いはもう消えていて、代わりにいつものシャンプーの匂いがした。
二週間、この匂いを近くで嗅がなかったのだと思うと、胸の奥が妙にざわついた。
眠っている顔を横目に家を出る朝が続いて、起こさないように閉めたドアの音ばかりを覚えている。
「まだ続くの、それ」「……もう少し」「もう少しって、何日」「聞かないで」「聞くよ」腕の中で早苗が身じろぎして、それから観念したように息を吐いた。
「山は越える。ほんとに、もう少しで」「ほんとに?」
「ほんと」指切りでもさせようかと思ったけれど、早苗の手はもう美代の腰に回っていて、動かす気配がなかった。
美代はその手の甲を親指で撫でて、やめておくことにした。
しばらくまどろんで、それから早苗のほうが先に起き上がった。
美代のパーカーを勝手に着て、髪をぐしゃぐしゃにしたままキッチンに立つ。
「ココア飲む?」
「飲む。牛乳ある?」
「二週間買い物してない家に、あると思う?」
「思わない」
結局、戸棚の奥から出てきた粉末のココアを湯で溶かした。
マグを二つ並べて、カウンターにもたれて飲む。
甘さが舌に残って、体の芯がゆっくり温まっていく。
「明日さ」
早苗がマグの縁越しに言った。
「買い物。あと、洗濯物ぜんぶ回したい」
「昼まで寝てから?」
「昼まで寝てから」
「じゃあ、朝ごはんは抜きだ」
「昼ごはんって呼べばいいでしょ」
早苗が笑って、美代の肩に頭をぶつけるように寄りかかった。
濡れていた髪はもう乾いていて、指を通すとやわらかい。
「あとね、日曜はどこも行かない。ずっと家にいる」
「予定として成立してる? それ」
「してる。最優先の予定」
真顔で言うものだから、美代は噴き出した。
笑い声がキッチンに響いて、早苗もつられて肩を揺らす。
窓の外では雨が上がりかけていて、二つのマグからまだ湯気が立っていた。

